あむすで1年を過ごしてみて。

選択肢を知らないことに恐怖して、GitHubで会う人々に興味が湧いて、勢いを殺さずにそのままアムステルダムに移住してみてから1年が経過した。

今まで何言ってるのか分からなくてドキドキすることが多かった英語も、気付けば騒がしい飲み会で伝えたいことを伝えられるくらいまでにはなって、人々から得た刺激を頭が処理するのに十分な時間もあって、今は随分と意識する内容が変わったように思う。

意識する内容というのは少し説明が難しいんだけど、例えば日本で当たり前だと思って生活してきた自分の背景は、こちらではマイノリティとなる。生い立ちを聞かれるたびに説明をし、質問を随所でされ、その過程を経て自分が過ごしてきた環境や日本という国がどういうものなのかを再発見するに至る。他の例でいえば、隣国でのテロ。飛行機が落ちる確率に擬えてあれは天文学的確率だと自分の友人らは言う。でも、電車で3, 4時間くらいのところで事件があったとなると、どことなく緊張感に包まれるし、生が連続してなんとか今も活動してるんだなとリアルな実感が湧く。

そんな当たり前のことをいちいち意識するようになって、だんだん慣れて何も感じなくなって、意識的に何かを感じるようにつとめて、あぁそれで1年が経過したことを思い出した。

現状を思い返すに、1年前に期待した可能性以上のことを得られたように思える。残業もなく、週40時間で働き、可処分所得も増えて、空いた時間で好きな分野の勉強をして、リラックスしたままOSS活動は続けて、たまにワインを明るい時間から飲んで、USやEUのカンファレンスで登壇して、土曜日はアントワープまでフラッと遊び行ったりして、あぁ書き出したらキリがない。もう老後みたいだなぁなんてたまに感じる。

この環境が心地いいのはいうまでもないんだけど、加えて不思議な気持ちが最近芽生えたのも書いておきたい。飛行機でイギリスとかスペイン行って帰ってきたときのこと。オランダの空港着くとホッとするようになった。この安堵の気持ちもあって、この環境は最高だけど、日本と同じでいつでもまた帰ってこれるなという考えるようになった。自分の市場価値を確認するのも兼ねて定期的にいろんな会社の人と話をしているけど、次はまたオランダじゃない国にジャンプして想像もできない生活をまた体験する、そんな人生だったら楽しいだろうなぁと。そう考えるようになったのがこの1年の変化。

心理的ブレーキに決断を邪魔をされても、自分のロジックを信じて幸福度に投資を続けるのを今後も萎えずにできたらいいな